医師・中村哲先生の男らしさと頭のよさ、そして人命救助にかける強い情熱がアフガニスタン社会に受け入れられ、タリバンさえ味方にもした。
アフガニスタンで西洋人やアメリカ人の悪口をいうものはいるが、決して、中村哲先生を悪く言う人はいない。
旱魃に陥ったアフガニスタンを救うには井戸を掘って飲料水を増やし、アフガニスタン人民の生命を救わなければならない。井戸を掘ることが医療行為の一環なのである。
アフガニスタン人民を難民化させなかった中村哲先生は、もはや、アフガニスタンの英雄である。
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本書こそ、まさに、最後のいくつか列挙した結論さえ読めばすべてがわかってしまうような本の見本である。本書の結論で使われたキーワードである「role」は、本書では、最後の結論さえ読んで、全部を通読し、時間を無駄にしないように、というのが本書の「role」である。
もっとも、その結論に至る過程は、通読しないと納得しがたいものがあるかもしれない。やはり、通読してくださいね。
心の過程と客観的事実が混在して書かれてあるので、一種の旅行体験記と考えればよい。
本書のキーワードである「官民共働」と「民営化」とは別次元である。
「民営化」とは、ある意味、国民の政府依存の逆証明でもあるのだ。
そのことさえ理解できれば「民営化」という文字に踊らされず、自助を意味する「self-help」に反発がなくなるだろう。
自分が何をするかは、自分で決める。それが本書の大きなメッセージだ。
ディベートという日本では馴染みのない議論形式を応用して、自分の人生を自分の頭と足で決めていくことを勧める本である。
ディベートとは、ある具体的な問題に対し、賛成、反対のどちらかにつき、準備を整えて議論していくルールに則った一種のテクニック・スキルのような形態の上に乗り、どちらが議論の質が高いかを審判が判定していくとても重要なリベラル・アーツである。
日本ではディベートが定着していないので、議論の作法自体、成立していないのである。何しろ、朝生がすぐれた議論の番組とされている奇妙な国が「ジャパン」である。
しかし、日本でも弁護士などの交渉事に携わる人間はディベートを身に着けているのではないだろうか。
本書は、ディベートの論理を中心に、ディベートを応用して、今までの日本の価値観である右肩上がりはなくなっている現実に立ち向かう方法を啓蒙していくのである。
もう、経済成長はないことは認め、いかに自分の器量で生きていくか、もはやそういう時代であることを本書は告げている。
カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの共著『共産党宣言』を幼稚な感情論と言い切ってしまう著者の本の読み方である。
著者は「学習」と「独学」は全く別次元だと語っている。
学習とは「まねる」というような子供の行為であり、大人は「独学」していき、成長していけると断じる。
そして、自国語の日本語が怪しいのに他国語を習得できないとも語っている。
また、他国語を学びだしたら自国語へのセンスもまた研ぎ澄まされていくとも語っている。
『共産党宣言』への評価以外、著者の意見は正しい。
グーグルは、ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンのエンジニア2人が意気投合し、創業した「検索」を目的としたIT企業である。
無料をアピールしているため、著作権保護にこだわる既存のメディアである新聞、出版社、テレビ局、映画産業から目の敵にされてしまう。
それだけではない、グーグルによる「無料」はシリコンヴァレーのIT産業にも脅威であったのである。
経営者としてエリック・シュミットも参加したが、エリックはアップル社の経営幹部でもあり、アップル社とグーグルが衝突しだしたら、グーグルにいたたたまれなくなり、シュミットは自ら辞任した。
すべての情報を無料で検索するというグーグルの目論見は「政府」とも衝突した。何しろ、規制緩和論者のブッシュ・Jrでさえ、グーグルを「独占禁止法」に抵触していないか、政府関係者に調査をさせた。そして、グーグルは中国政府とも衝突し、「検閲」
を受け入れざるを得なかった。グーグルの会社理念である「邪悪なことはしない」に反し、中国政府の圧力に負けた。
確実にグーグルは世界を変えた。
クリックで手にしたい情報を得られるとは、いったい誰が想像しただろうか。